出る、兎《うざぎ》が出る、私の家のまわりにも秋の草が一面に咲き乱れていて、姉と一緒に笊《ざる》を持って花を摘みに行ったことを微《かす》かに記憶している。その草叢《くさむら》の中には、ところどころに小さい池や溝川《どぶがわ》のようなものもあって、釣りなどをしている人も見えた。
 蟹《かに》や蜻蛉《とんぼ》もたくさんにいた。蝙蝠《こうもり》の飛ぶのもしばしば見た。夏の夕暮れには、子供が草鞋《わらじ》を提《さ》げて「蝙蝠来い」と呼びながら、蝙蝠を追い廻していたものだが、今は蝙蝠の影など絶えて見ない。秋の赤蜻蛉、これがまた実におびただしいもので、秋晴れの日には小さい竹|竿《ざお》を持って往来に出ると、北の方から無数の赤とんぼがいわゆる雲霞《うんか》の如くに飛んで来る。これを手当り次第に叩《たた》き落すと、五分か十分のあいだに忽《たちま》ち数十匹の獲物《えもの》があった。今日《こんにち》の子供は多寡《たか》が二|疋《ひき》三疋の赤蜻蛉を見つけて、珍しそうに五人六人もで追い廻している。
 きょうは例の赤とんぼ日和《びより》であるが、ほとんど一疋も見えない。わたしは昔の元園町がありありと眼の先に泛《
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