られる世の中となった。眉が険《けわ》しく、眼が鋭い今の元園町人は、獅子舞を見るべく余りに怜悧《りこう》になった。
 万歳《まんざい》は維新以後全く衰えたと見えて、わたしの幼い頃にも已《すで》に昔のおもかげはなかった。

     江戸の残党

 明治十五、六年の頃と思う。毎日午後三時頃になると、一人のおでん屋が売りに来た。年は四十五、六でもあろう、頭には昔ながらの小さい髷《まげ》を乗せて、小柄ではあるが色白の小粋《こいき》な男で、手甲脚絆《てっこうきゃはん》のかいがいしい扮装《いでたち》をして、肩にはおでんの荷を担ぎ、手には渋団扇《しぶうちわ》を持って、おでんや/\と呼んで来る。実に佳《い》い声であった。
 元園町でも相当の商売があって、わたしもたびたび買ったことがある。ところが、このおでん屋は私の父に逢うと互いに挨拶《あいさつ》をする。子供心に不思議に思って、だんだん聞いてみると、これは市ヶ谷《いちがや》辺に屋敷を構えていた旗本八万騎の一人で、維新後思い切って身を落し、こういう稼業を始めたのだと云う。あの男も若い時にはなかなか道楽者であったと、父が話した。なるほど何処《どこ》かきりり
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