として小粋なところが、普通の商人《あきんど》とは様子が違うと思った。その頃にはこんな風の商人がたくさんあった。
 これもそれと似寄りの話で、やはり十七年の秋と思う。わたしが、父と一緒に四谷《よつや》へ納涼《すずみ》ながら散歩にゆくと、秋の初めの涼しい夜で、四谷伝馬町《よつやてんまちょう》の通りには幾軒の露店《よみせ》が出ていた。そのあいだに筵《むしろ》を敷いて大道《だいどう》に坐っている一人の男が、半紙を前に置いて頻《しき》りに字を書いていた。今日では大道で字を書いていても、銭《ぜに》を呉れる人は多くあるまいと思うが、その頃には通りがかりの人がその字を眺めて幾許《いくら》かの銭を置いて行ったものである。
 わたしらも其の前に差しかかると、うす暗いカンテラの灯影にその男の顔を透かして視《み》た父は、一|間《けん》ばかり行き過ぎてから私に二十銭紙幣を渡して、これをあの人にやって来いと命じ、かつ遣《や》ったらば直《す》ぐに駈けて来いと注意された。乞食同様の男に二十銭はちっと多過ぎると思ったが、云わるるままに札《さつ》を掴《つか》んでその店先へ駈けて行き、男の前に置くや否《いな》や一散《いっさ
前へ 次へ
全408ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング