醤油エキスを水に溶かして用いました。砂糖は監理部で呉れることもあり、私たちが町のある所へ行って買うこともありました。
 苦力の日給は五十銭でしたが、みな喜んで忠実に働いてくれました。一人は高秀庭《こうしゅうてい》、一人は丁禹良《ていうりょう》というのでしたが、そんなむずかしい名を一々呼ぶのは面倒なので、わたしの考案で一人を十郎《じゅうろう》、他を五郎《ごろう》という事にしました。この二人が「新聞記者雇苦力、十郎、五郎」と大きく書いた白布を胸に縫い付けているので、誰の眼にも着き易く、往来の兵士らが面白半分に「十郎、五郎」と呼ぶので、二人もいちいちその返事をするのに困っているようでした。苦力の曾我《そが》兄弟はまったく珍しかったかも知れません。
 東京へ帰ってから聞きますと、伊井蓉峰《いいようほう》の新派一座が中洲《なかず》の真砂座《まさござ》で日露戦争の狂言を上演、曾我兄弟が苦力に姿をやつして満洲の戦地へ乗り込み、父の仇《かたき》の露国将校を討ち取るという筋であったそうで、苦力の五郎十郎が暗合《あんごう》しているには驚きました。但《ただ》し私たちの五郎十郎は正真正銘の苦力で、かたき討など
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