とは何の関係もありませんでした。
 そのうちに事態いよいよ危急に迫って、七月二十九日には成歓牙山《せいかんがさん》のシナ兵を撃ち攘《はら》うことになる。この前後から朝鮮にある各新聞記者は我が軍隊に附属して、初めて従軍記者ということになりました。戦局がますます拡大するに従って、内地の本社からは第二第三の従軍記者を送って来る。これらはみな陸軍省の許可を受けて、最初から従軍新聞記者と名乗って渡航したのでした。
 これらの従軍記者は宇品《うじな》から御用船に乗り込んで、朝鮮の釜山《ふざん》または仁川に送られたのですが、前にもいう通り、何分にも初めての事で、従軍記者に対する規律というものが無いので、その扮装《ふんそう》も思い思いでした。どの人もみな洋服を着ていましたが、腰に白|木綿《もめん》の上帯を締めて、長い日本刀を携えているのがある。槍《やり》を持っているのがある。仕込杖《しこみづえ》をたずさえているのがある。今から思えば嘘《うそ》のようですが、その当時の従軍記者としては、戦地へ渡った暁《あかつき》に軍隊がどの程度まで保護してくれるか判らない。万一負け軍《いくさ》とでもなった場合には、自衛行
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