》とは思われないように胸を打たれます。取分けて私などは自分の経験があるだけに、人一倍にその労苦が思いやられます。
その折柄、あたかもあなたから「昔の従軍記者」に就《つ》いておたずねがありましたので、自分が記憶しているだけの事を左にお答え申します。御承知の通り、日露戦争の当時、わたしは東京日日新聞社に籍を置いていて、従軍新聞記者として満洲《まんしゅう》の戦地に派遣されましたので、なんと云っても其の当時のことが最も多く記憶に残っていますが、お話の順序として、まず日清戦争当時のことから申上げましょう。
日清戦争当時は初めての対外戦争であり、従軍記者というものの待遇や取締りについても、一定の規律はありませんでした。朝鮮に東学党の乱が起って、清《しん》国がまず出兵する、日本でも出兵して、二十七年六月十二日には第五師団の混成旅団が仁川《じんせん》に上陸する。こうなると、鶏林《けいりん》(朝鮮の異称)の風雲おだやかならずと云うので、東京大阪の新聞社からも記者を派遣することになりましたが、まだ其の時は従軍記者というわけではなく、各社から思い思いに通信員を送り出したというに過ぎないので、直接には軍隊
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