最も多いのは二枚半で、四枚六枚となっては子供には手が付けられなかった。二枚半以上の大《おお》紙鳶は、職人か、もしくは大家《たいけ》の書生などが揚げることになっていた。松の内は大供《おおども》小供《こども》入り乱れて、到るところに糸を手繰《たぐ》る。またその間に娘子供は羽根を突く。ぶんぶんという鳴弓の声、かっかっという羽子《はご》の音。これがいわゆる「春の声」であったが、十年以来の春の巷は寂々寥々《せきせきりょうりょう》。往来で迂闊《うかつ》に紙鳶などを揚げていると、巡査が来てすぐに叱られる。
 寒風に吹き晒《さら》されて、両手に胼《ひび》を切らせて、紙鳶に日を暮らした三十年前の子供は、随分乱暴であったかも知れないが、襟巻《えりまき》をして、帽子をかぶって、マントにくるまって懐《ふとこ》ろ手をして、無意味にうろうろ[#「うろうろ」に傍点]している今の子供は、春が来ても何だか寂しそうに見えてならない。

     獅子舞

 獅子《しし》というものも甚だ衰えた。今日《こんにち》でも来るには来るが、いわゆる一文獅子《いちもんじし》というものばかりで、ほんとうの獅子舞はほとんど跡を断った。明治
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