わそわして落ち着かなくなった。彼は蔵に積んである米や麦を売って、あらん限りの金をふところに押し込んで、再び江戸見物にのぼった。ことしも治六が供をして出た。
 吉原は去年にまして賑わっていた。年々栽《う》え替えられる桜にも去年の春の懐かしい匂いが迷っていた。
 次郎左衛門は今年も立花屋から送られて、大兵庫屋の客になった。彼は八橋に二百両の土産をやった。そうして、ことしも春から夏の終りにかけて百日ほども遊んで帰った。
「いくらお大尽さまでも、ちっと道楽が過ぎましょう」と、佐野屋の主人は二年越しの遊蕩に少しく顔をしかめていた。治六は喧嘩づらで急《せ》き立てて、ことしも盆前にひとまず国に帰ることになった。帰る時に次郎左衛門は宿の亭主に言った。
「ことしの内にまた来るかも知れません」
「お急ぎの御用があれば格別、今年はまあ在所《ざいしょ》に御辛抱なすって、また来春お出でなさいまし」と、亭主は言った。
 次郎左衛門は唯にやにや[#「にやにや」に傍点]笑いながら草鞋《わらじ》の紐を結んで出た。それが果たして今年の内に出直して来た。しかも佐野屋[#「佐野屋」は「佐野」の誤記か]の家は潰れてしまったとい
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