この方が旦那のためになるかも知れねえ」と、治六はひそかに喜んだ。
 縄張りは人に奪《と》られ、子分はみんな散ってしまう。次郎左衛門はもう博奕打ちとしては世間に立てなくなったのである。それをしおに料簡《りょうけん》を切り替えて、もとの堅気の百姓に立ちかえれば、本人も家《いえ》も安泰である。そう祈っているのは治六ばかりでなく、分家の人たちもみんな同じ望みをもっていた。
 次郎左衛門は果たして博奕打ちをやめた。喧嘩もやめた。今までは奉公人まかせにしておいた帳簿などを自分で丹念に検《あらた》めて、ついぞ持ったことのない十露盤《そろばん》などをせせくるようにもなった。彼は純な百姓生活にかえって、土の匂いに親しんだ。
 それを聞いて、足利の姉は再び涙を流してよろこんだ。彼女《かれ》はここで弟に相当の嫁を持たせて、いよいよしっかりと彼と家とを結び付けようと試みたが、それは全く失敗に終った。余事は格別、縁談に就いて彼は誰の相手にもならなかった。
 明くる年の春は来た。田面《たづら》の氷もようやく融《と》けて、彼岸の種|蒔《ま》きも始まって、背戸《せど》の桃もそろそろ笑い出した頃になると、次郎左衛門はそ
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