、主人から表向きになんの話があったというでもない。お光に暇を出すと言ったのでもない。女同士の朋輩の妬み猜《そね》みは珍らしくないことで、その蔭口や悪口を取《と》っこにとって、こっちから改めて掛け合いめいたことを言い込むのは、却っておとなげない、穏やかでない。正直か不正直かは長い目で見ていれば自然に判る。まず当分はなんにも言わずに辛抱しているがよかろうと、彼は栄之丞を懇々《こんこん》説いてなだめた。
「なるほど、ごもっともでござります」
その場はすなおに得心して出たが、栄之丞もまだ若かった。事にこそよれ、兄妹がぐる[#「ぐる」に傍点]になって二十両の金を掠《かす》めたと疑われているらしいのが、どう考えても不快で堪まらなかった。堀田原を出て、途々《みちみち》でもいろいろに考えたが、やはり一応は主人に逢って自分たちの潔白を証明して置く方がいい。それが妹の後来《こうらい》のためであるとも考えたので、彼は堀田原の主人の意見にそむいて橋場の寮へ足を向けた。
案内を乞うと、お光が取次ぎに出て来た。
「兄さま。いいところへ……。もう少し前からお店《たな》の旦那さまがお出《い》でになりまして……」
前へ
次へ
全139ページ中84ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング