八橋があるとき彼の商売を訊くと、彼は野州佐野の博奕打ちで、三、四十人の子分を持っていると自慢らしく答えた。すると、八橋はにやり[#「にやり」に傍点]と笑った。
「ほかにもいろいろの渡世《とせい》がありんしょう。喧嘩商売、よしなんし。あぶのうおざんす」
 なるほど危ない商売には相違なかった。博奕打ちに喧嘩は付き物である。次郎左衛門はその命賭けの危ないなかに興味を求めていた。世間にはほかにいろいろの渡世があることも、喧嘩商売のあぶないことも、いまさら八橋の意見を聞くまでもなかった。そんなことは足利の姉からも、分家の人びとからも耳うるさいほどに聞かされていた。
「あぶのうおざんす」
 この一句が今夜はふかく彼の胸に食い入った。相手はどれほどの親切気で言い聞かしたのか知れないが、次郎左衛門は心からその親切を感謝した。自分の生命《いのち》を賭けるような危ない商売はもうふっつりと思い切ろうと女に誓った。
「今度来るときには堅気の百姓で来る」
 彼はその約束を忘れなかった。盂蘭盆まえに国に帰ると、もとの百姓生活に立ちかえる準備に取りかかった。しかし、もう遅かった。いわゆる喧嘩商売で幾年も送った
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