は実に驚いた。何かの子細があって栄之丞が自分を欺すのではないかと一旦は疑った。しかしいつかの晩、治六がふと口走った身請けの話とその金高の符合していることを思い合わせると、栄之丞の話も嘘ではないらしく思われた。次郎左衛門がもうきのうの大尽でないことも大抵想像された。
相手のおちぶれたのも仕方がない。自分はおちぶれた男を見捨てるほどの薄情な女でもないと、彼女は自分でも思っていた。現に今でも栄之丞を貢《みつ》いでいた。しかしそれは相手にも因ることで、いかに不実な男に対する面当てでも、彼女は無宿同様の次郎左衛門に付きまとって居ようとは思わなかった。彼女は影の薄れた佐野の大尽の袖には取り付きたくなかった。
思い切ろうとした栄之丞は、呼びもしないのに向うから来た。取りすがろうとした次郎左衛門は足もとのぐらついているのが今判った。すべての事が自分の考えと食い違って来たので、八橋はちょっと見当がつかなくなった。
「そうして、その話をしに来なんしたからは、主《ぬし》はわたしを佐野へやる気でおざんすかえ」と、八橋は栄之丞の性根を試すように訊いた。
「男が恥を打明けて頼むのだ。わたしも忌《いや》とは言われなくなった。あの人のことだから、いったん言い出したら忌といっても承知しまい。あの人の目付きを見ろ」と、栄之丞は少しおびえたように言った。
男の弱いのが八橋の眼にはおかしいように思われた。他人《ひと》におどされて、言い交した女をむざむざと投げ出してしまうとは、あんまり意気地がないと、彼女はおかしいのを通り越して腹立たしくもなった。それでも彼女はまだ栄之丞に未練があった。男の弱いのがなんだかいじらしくもなって来た。それと同時に、その弱い男を一種の力づくで押しつけて、無理に自分をもぎ取って行こうとする次郎左衛門の横暴な処置にも強い反感をもつようになった。
自分の方から頼んだ身請けの相談ではあるが、こうなると八橋も考えなければならなかった。第一には宿無しの次郎左衛門に自分のからだを任せたくはなかった。それも自分の前で正直にそれを白状することか、蔭へ廻って弱い者をおどしつけて、腕づくで自分を安く買い取って行こうとする。どう考えても卑しい穢《きたな》い、男らしくない仕方だと彼女は思った。八橋はもう次郎左衛門にも愛想をつかしてしまった。
「そんなことは直ぐに返事も挨拶もなりんすまい。まあ、よく
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