やってしまいましてね。旦那をのせて帰ってくると、すぐそこの角で暗いなかから若い女が不意に出て来たので、あっと思って梶棒を振り向けようとする間もなしに、相手を突っこかしてしまったんです。」
「よっぽどひどい怪我でもしましたか。」と、お銀は顔をしかめながらまた訊いた。
「なに、半分|轢《ひ》きかかって危うく踏みとまったので、たいした怪我はないようです。それでも転んだはずみに手や足を摺りむいたりしましたからね。早くいえば出逢いがしらで、どっちが悪いという訳でもないんですが、なにしろ怪我をさせた以上は、そのままにもしておかれませんや。旦那も大変に気の毒がって、いろいろ手当てをしているようです。」
電車や自動車はなし、自転車も極めて少ないこの時代における交通事故は、馬車と人力車にきまっていた。馬車もさのみ多くはなかったが、人力車が衝突したとか人力車に轢かれたとかいう事故は、毎日ほとんど絶えなかった。
今夜の出来事もその一つである。お銀はやはり顔をしかめながら聞いていると、お新がそばから喙《くち》を出した。
「どこの娘さんか知りませんけれど、服装《なり》はいいというほどじゃありませんけれど、容
前へ
次へ
全35ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング