貌《きりょう》はなかなかいいんですよ。なんでも士族さんの娘さんでしょうね。」
 士族さんなどという言葉が、この時代には盛んに用いられた。お銀の家も中国辺のある藩の士族さんであった。
 それだけの話を聞いてしまって、お銀は自分の家へ引っ込むと、せがれの友之助が帰って来た。かれは母から今夜の話を聞かされても、別に気にも留めないらしかった。前にもいった通り、人力車に突き当ったり轢かれたりするのは珍しくもなかったからである。

     二

 溝口医師の車にひかれた娘は、幸いにたいした怪我でもなかった。ひき倒されて転んだときに、左の臂《ひじ》と左の足とを摺りむいただけのことで、出血の多かった割合に傷は浅かったので、溝口もまず安心した。
 あくる日一日は無理に寝かしておいたが、娘は次の日から跛足《びっこ》をひきながら起きた。しかし彼女はここを立去ろうともしないで、そのままこの家に居据《いすわ》っていることになった。というのは、彼女は帰るべき家を持たないからであった。
 溝口医師の家は久住弥太郎という旗本の屋敷で、かのむすめはその用人を勤めていた箕部五兵衛の子で、その名をお筆というのであると自分
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