て、今度は出窓から表をのぞこうとした時、表では何か口早に話すような人声がきこえた。それは溝口医師と抱え車夫の元吉の声であった。
「ともかくも家《うち》まで乗せて行け。」
 溝口の命令する声がきこえて、やがて車は門前におろされた。お銀は窓から伸びあがって覗いてみると、車夫の元吉は梶棒《かじぼう》をおろして、くぐり門から一旦はいったかと思うと、さらに内から正面の門を左右にひらいて、車を玄関さきまで挽《ひ》き込んで行った。その提灯のひかりに照らされた車上の人は若い女であった。そのあとから溝口もつづいてはいった。
 お銀はさらに台所へまわって、水口《みずぐち》の戸をすこし明けてうかがうと、溝口と元吉は女を介抱して奥へ連れ込んで行くらしい。元吉は夫婦者で、お新という若い女房がある。そのお新も自分の家から駈け出して行って、なにか手伝っているのを見ても、それが急病人か怪我人であるらしいことは、容易に想像された。まさかにコレラでもあるまいとお銀は思った。
 そのうちに元吉とお新の夫婦が奥から出て来たので、お銀は水口から出てそっと様子を訊くと、元吉はあたまを掻きながら答えた。
「いや、どうも大しくじりを
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