籠屋を呼んだ。
「おい、おい。この女はだいぶ酔っているようだ。気をつけて送ってくれ。お絹、いずれあした逢って詳しい話を聞くから、今夜はおとなしく帰ってくれ」
「あい」
「それとも何か急に用でも出来たのか」
 返事に困ってお絹はぼんやりと黙っていた。
 ふとした浮気からお花に誘い出されたが、さて行って見ると面白くないことだらけで、胸のむしゃくしゃに堪えないお絹は、その反動で林之助が遮二無二《しゃにむに》恋しくなった。飛び立つほどに逢いたくなった。殊に酒にはしたたかに酔っているので、彼女は前後の考えもなしに自分の駕籠をこの屋敷まで送らせたのであったが、来てみると別に用はない。彼女は林之助の顔を見ると、張りつめた気が急にゆるんで、狐の落ちた人のようにぼんやりしてしまった。
 それでも直ぐにおとなしく帰ろうとはしなかった。
「おまえさん、今夜出られないの」
「どこへ行くんだ」
「あたしの家《うち》へ……」
 もう一度「馬鹿」と言いたいのを林之助は喉《のど》へのみ込んで、今夜これから出るわけにはいかない。あしたはこっちからきっと訪ねて行くから待っていろと、賺《すか》すように言い聞かせて、無理に女
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