丈夫。だが、和泉屋の若旦那。おまえさんは随分たのもしくないのね。あたしの商売がなんだということを今初めて知ったんじゃありますまい。それを承知の上でここまで呼び出して置きながら、蛇と聞くと直ぐに悚毛《おぞけ》をふるって逃げ腰になるようじゃあ、とても末長くおつきあいは出来ませんね。ねえ、花ちゃん。それを思うと、向柳原はやっぱり可愛いところがあるね。なにしろ蛇とあたしと一緒に小《こ》一年も仲よく暮らしたんだからねえ」
 お絹はもう行儀よく坐っていられないほどに酔いくずれていた。彼女は片手を畳に突いて、ぐったりと疲れた人のように、痩せた肩で大きい息をついていた。
「ねえ、花ちゃん。向柳原はまったく頼もしいね。家を勘当されても、浪人しても、蛇とあたしと一緒に暮らしていたいと言うんだからね。あたしも今夜という今夜つくづく悟ったよ。女がほんとうに可愛いと思う男は、一生にたった一人しか見付からないもんだね。どう考えても浮気はできない。花ちゃん。お前、なんだってあたしをこんな所へ連れて来たんだえ。ええ、くやしい」
 彼女はお花の膝にしがみ付いたかと思うと、更にその胸倉《むなぐら》をつかんで無暗に小突《こ
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