いのお絹には、仁科林之助《にしなりんのすけ》という男があった。林之助は御直参《ごじきさん》の中でも身分のあまりよくない何某《なにがし》組の御家人《ごけにん》の次男で、ふとしたはずみからこのお絹と親しくなって、それがために実家をとうとう勘当されてしまった。低い家柄に生まれた江戸の侍としては、林之助はちっとも木綿摺《もめんず》れのしないおとなしやかな男であった。相当に読み書きもできた。殊にお家流《いえりゅう》を達者に書いた。
 勘当された若い侍はすぐにお絹の家に引き取られた。お絹が可愛がっているものは、林之助と蛇とであった。こうして一年ほども仲よく暮らしているうちに、男はある人の世話で御納戸衆《おなんどしゅう》六百五十石の旗本|杉浦中務《すぎうらなかつかさ》の屋敷へ中小姓《ちゅうごしょう》として住み付くことになった。窮屈な武家奉公などしないでも、お前さん一人ぐらいはあたしが立派にすごしてみせると、お絹はしきりにさえぎって止めたが、すなおな林之助もこの時ばかりは無理に振り切って出て行った。杉浦の屋敷は向柳原で、この両国と余り遠くもなかった。それはお絹が可愛がっている三匹の青い蛇がだんだん寒さ
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