いるのが夕闇の底から浮いているように見えた。お絹とお花はその茶屋の門をくぐって奥の小座敷へ通されると、林之助と丁度同い年ぐらいの町人ふうの若い男が、女中を相手に杯をとっていた。
「どうも遅くなりました」と、お花は丁寧に挨拶した。
 お絹は燭台の灯に顔をそむけて坐った。
 女中はなんにも言わずに二人をじろじろ[#「じろじろ」に傍点]見ながらつん[#「つん」に傍点]と立って行った。その素振りがなんだか自分たちを軽蔑《さげす》んでいるらしくも見えたので、お絹はまず勃然《むっ》とした。
「それでもよく出て来てくれたね」
 男がさした杯をお絹はだまって受取って、お花に酌をさせてひと口飲んだ。お花が取持ち顔に何かいろいろの話を仕向けると、男も軽い口で受けた。
 男は浅草の和泉屋という質屋の忰《せがれ》で、千次郎という道楽者であった。吉原や深川の酒の味ももう嘗《な》め飽きて、この頃は新しい歓楽の世界をどこにか見いだそうとあさっている彼の眼に、ふと映ったのは両国のお絹であった。彼は自分の物好きに自分で興味をもって、この美しい蛇つかいの女に接近しようと努《つと》めた。楽屋への遣い物、木戸番への鼻薬、それ
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