められて海苔巻を一つ食った。
「きょうは御馳走のある日だったね」と、地弾きのお辰は海苔の付いたくちびるを拭きながら、鉄漿《かね》の黒い歯をむき出して笑った。
「みんな姐さんのお蔭さ」と、お若も茶を飲みながら相槌《あいづち》を打った。
飲み食いの時にばかり我れ勝ちに寄って来ても、まさかの時には本当の力になってくれる者は一人もあるまい。お絹はその軽薄を憎むよりも、そうした境遇に沈んでいる自分の今の身が悲しく果敢《はか》なまれた。小さいときに死に別れた両親《ふたおや》や妹が急に恋しくなった。
それに付けても林之助がいよいよ恋しくなった。自分が取りすがってゆく人は林之助のほかにはない。もうこれからは決して無理も言うまい。我儘も言うまい。どこまでもおとなしくあの人の機嫌を取って、見捨てられないようにする工夫《くふう》が専一だと、いつにない、弱い心持ちにもなった。しかしお里のことを考え出すと、彼女はまた急に苛々《いらいら》して来た。林之助の見ている前で、お里の島田髷を邪慳《じゃけん》に引っつかんで、さっきお此を苦しめたようにその鼻づらへ青い蛇をこすりつけてやりたいとも思った。林之助への面《つら
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