気なしに、むしゃむしゃ食っているのを、お絹は箱に倚りかかりながら黙って離れて眺めていた。
「おまえさん、列び茶屋へも行くんだね」と、お花は菓子を食ったあとの指をなめながらお此に訊いた。
「はい。まいります」
「不二屋へも行くだろう」
「はい」
 お花はお絹に眼くばせをしながら、なに食わぬ顔でお此にまた訊いた。
「おまえさん、あの不二屋の里《さと》ちゃんという子を知っているだろう」
「おとなしい姐さんでございますね」
「あの子に、このごろ情人《いいひと》が出来たってね」
「さあ、そんなことは存じませんが……」と、お此は笑っていた。
「向柳原のほうのお屋敷さんだっていうじゃあないか」と、お花も笑いながらカマを掛けた。「おまえさん、毎日行くんだもの、知っているだろう」
 お此の返事はあいまいであった。単に向柳原の屋敷者といえば大勢あるが、お絹の男も向柳原にいることをお此はかねて知っていた。その男がその不二屋へ遊びにゆくこともお此はやはり知っていた。ここでうっかりしたことをしゃべって、どんな当り障りがないとも限らない。諸方へ出入りする自分の商売上、なるべくこんな問題には係り合わない方が利口だと
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