ではないと、彼はいろいろの理屈をかんがえて努《つと》めて自分を弁護しようと試みた。それでも何だか自分にうしろ暗い点があるように危ぶまれた。
彼は今にもここへお絹のおそろしい眼が現われて来はしまいかと恐れられた。お絹に別れたことも悲しかった。うるさいとか執念ぶかいとか思いながらも、彼女と自分とのあいだには切ることのできない絆《きずな》がしっかりと結び付けられていたのであった。自分も無理にそれを振り切ろうとはしなかった。その絆が自然に切り放されて、自分は今初めて自由の身となった。彼は思わずほっ[#「ほっ」に傍点]とすると同時に、又なんとなく心淋しくなった。お絹が急に恋しく懐かしくも思われた。
お経の文句は何も知らない彼も、今夜は仏壇代りの机にお絹の俗名をかいた紙片を飾って、それにむかって一心に南無阿弥陀仏と念じた。ときどきに部屋の障子に女の髪の毛がさらさら[#「さらさら」に傍点]とさわるような音が耳について、彼は総身《そうみ》に水を浴びせられたように感じた。
屋敷を出られない彼は今夜はここで通夜をするつもりで、明けの鴉《からす》のきこえるまで行儀よく机の前に坐っていると、初めてお絹と
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