送りながら立尽していると、秋のゆうぐれの寒さが襟にしみて来る。
秋になると、毎年それをくり返していたので、私に取っては忘れがたい少年時代の思い出の一つとなっているが、この頃では秋になっても東京の空を渡る雁の影も稀になった。まして往来のまん中に突っ立って、「笄取らしょ」などと声を嗄《か》らして叫んでいるような子供は一人もないらしい。
雁で思い出したが、蝙蝠も夏の宵の景物の一つであった。
江戸時代の錦絵には、柳の下に蝙蝠の飛んでいるさまを描いてあるのをしばしば見る。粋な芸妓などが柳橋あたりの河岸をあるいている、その背景には柳と蝙蝠を描くのが殆《ほとん》ど紋切形のようにもなっている。実際、むかしの江戸市中には沢山|棲《す》んでいたそうで、外国や支那の話にもあるように、化物屋敷という空家を探険してみたらば、そこに年《とし》古《ふ》る蝙蝠が棲んでいるのを発見したというような実話がいくらも伝えられている。大きい奴になると、不意に飛びかかって人の生血を吸うのであるから、一種の吸血鬼といってもよい。相馬の古御所の破れた翠簾《すいれん》の外に大きい蝙蝠が飛んでいたなどは、確かに一段の鬼気を添えるも
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