には案外に大きい桜や桃の木などがあって、春は一面に咲きみだれている。小さい建物、大きい桜、その上を越えて遠い近い山々が青く霞んでみえる。停車場の傍には粗末な竹垣などが結ってあって、汽車のひびきに馴れている鶏が平気で垣をくぐって出たり這入《はい》ったりしている。駅員が慰み半分に作っているらしい小さい菜畑なども見える。
夏から秋にかけては、こういう停車場には大きい百日紅《さるすべり》や大きい桐や柳などが眼につくことがある。真紅に咲いた百日紅のかげに小さい休み茶屋の見えるのもある。芒《すすき》の乱れているのもコスモスの繁っているのも、停車場というものを中心にして皆それぞれの画趣を作っている。駅の附近に草原や畑などが続いていて、停車している汽車の窓にも虫の声々が近く流れ込んで来ることもある。東海道五十三次をかいた広重が今生きていたらば、こうした駅々の停車場の姿を一々写生して、おそらく好個の風景画を作り出すであろう。
停車場はその土地の象徴であると、わたしは前にいったが、直接にはその駅長や駅員らの趣味もうかがわれる。ある駅ではその設備や風致に頗る注意を払っているらしいのもあるが、その注意があ
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