まりに人工的になって、わざとらしく曲りくねった松を栽《う》えたり、檜葉《ひば》をまん丸く刈り込んだりしてあるのは、折角《せっかく》ながらかえって面白くない。やはり周囲の野趣をそのまま取入れて、あくまでも自然に作った方が面白い。長い汽車旅行に疲れた乗客の眼もそれに因《よ》って如何《いか》に慰められるか判らない。汽車そのものが文明的の交通機関であるからといって、停車場の風致までを生半可な東京風などに作ろうとするのは考えものである。
 大きい停車場は車窓から眺めるよりも、自分が構内の人となった方がよい。勿論、そこには地方の小停車場に見るような詩趣も画趣も見出せないのであるが、なんとなく一種の雄大な感が湧く。そうしてそこには単なる混雑以外に一種の活気が見出される。汽車に乗る人、降りる人、かならずしも活気のある人たちばかりでもあるまい。親や友達の死を聞いて帰る人もあろう、自分の病のために帰郷する人もあろう、地方で失敗して都会へ職業を求めに来た人もあろう。千差万別、もとより一概にはいえないのであるが、その人たちが大きい停車場の混雑した空気につつまれた時、誰も彼も一種の活気を帯びた人のように見られる
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