、こういう世の中にいちゃ不自由ですよ。」
「それじゃあ、ここにこんなものがあります。」
旅人は雑嚢をあけて、大きい壜詰の酒を出してみせた。
「あ、酒ですね。」と、重兵衛の口からは涎《よだれ》が出た。
「どうです。寒さしのぎに一杯やったら……。」
「結構です。すぐに燗《かん》をしましょう。ええ、邪魔だ。退《ど》かねえか。」
自分の背中にこすり付いているわが子をつきのけて、重兵衛はかたわらの棚から忙がしそうに徳利をとり出した。それから焚火に枝を加えて、壜の酒を徳利に移した。父にふり放された太吉は猿曳きに捨てられた小猿のようにうろうろしていたが、煙りのあいだから旅人の顔を見ると、またたちまち顫えあがって、むしろの上に俯伏したままで再び顔をあげなかった。
「今晩は……。重兵衛どん、いるかね。」
外から声をかけた者がある。重兵衛とおなじ年頃の猟師で、大きい黒い犬をひいていた。
「弥七どんか。はいるがいいよ。」と、重兵衛は燗の支度をしながら答えた。
「誰か客人がいるようだね。」と、弥七は肩にした鉄砲をおろして、小屋へひと足踏み込もうとすると、黒い犬は何を見たのか俄かに唸りはじめた。
「なんだ
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