、なんだ。ここはおなじみの重兵衛どんの家だぞ。ははははは。」
弥七は笑いながら叱ったが、犬はなかなか鎮まりそうにもなかった。四足《よつあし》の爪を土に食い入るように踏ん張って、耳を立て眼を瞋《いか》らせて、しきりにすさまじい唸り声をあげていた。
「黒め。なにを吠えるんだ。叱っ、叱っ。」と、重兵衛も内から叱った。
弥七は焚火の前に寄って来て、旅人に挨拶した。犬は相変らず小屋の外に唸っていた。
「お前いいところへ来たよ。実は今このお客人にこういうものをもらっての。」と、重兵衛は自慢らしくかの徳利を振ってみせた。
「やあ、酒の御馳走があるのか。なるほど運がいいのう、旦那、どうも有難うごぜえます。」
「いや、お礼を言われるほどにたくさんもないのですが、まあ寒さしのぎに飲んでください。食い残りで失礼ですけれど、これでも肴にして……。」
旅人は包みの握り飯と刻みするめとを出した。海苔巻もまだ幾つか残っている。酒に眼のない重兵衛と弥七とは遠慮なしに飲んで食った。まだ宵ながら山奥の夜は静寂《しずか》で、ただ折りおりに峰を渡る山風が大浪の打ち寄せるように聞えるばかりであった。
酒はさのみの上酒と
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