た。どこかで鶏《とり》が啼いていた。二人はさっきから一面の明るい日を浴びて、からだが少しだるくなるほどに肉も血も温まって来た。二人の若い顔は艶《あで》やかに赤くのぼせた。
「阿母《おっか》さんは遅いなあ」と、十吉は薄ら眠いような声でつぶやいた。
「番町《ばんちょう》のお屋敷へ行ったの」
「むむ。もう帰るだろう」
こんな噂をしていたが、母は容易に帰らなかった。お時が家を出たのはけさの四つ(午前十時)であった。女の足で箕輪から山の手の番町まで往復するのであるから、時のかかるのは言うまでもないが、それにしてもちっと遅過ぎると十吉は案じ顔に言った。お米もなんだか不安に思われたので、七《なな》つ(午後四時)過ぎまで一緒に待ち暮らしていると、お時《とき》は元気のない顔をしてとぼとぼ[#「とぼとぼ」に傍点]と帰って来た。
「おや、お米坊も一緒に留守番をしていておくれだったの」
「おばさん、又あした来ますよ」
母が無事に帰ったのを見とどけて、お米も自分の家《うち》へいそいで帰った。お米の家は同じ村のはずれにあった。今まで長閑《のどか》そうにかかっていた凧《たこ》の影もいつか夕鴉《ゆうがらす》の黒い
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