く別の世界のうわさのように聞き流していた。
「あたし、まだ一度も吉原の初午へ行ったことがないから、ことしは見に行こうか知ら。え、十《じゅう》さん、一緒に行かないか」
 顔を覗いて少し甘えるように誘いかけられても、十吉はなんだか気の乗らないような返事をしているので、お米もしまいには面白くないような顔をして、子供らしくすねて見せた。
「お前、あたしと一緒に行くのはいやなの」
「いやじゃないけれども詰まらない。初午ならば向島へ行って、三囲《みめぐ》りさまへでも一緒にお詣りをした方がいいよ」
「でも、吉原の方が賑やかだというじゃあないか」と、お米はまだ吉原の方に未練があった。
「賑やかでもあんなところはいやだ、詰まらない」
 十吉は頻《しき》りに詰まらないと言った。二人は来月の初午について今から他愛なく争っていたが、結局らちが明かなかった。
「十さん、吉原は嫌いだね」
「むむ」
 二人はまた黙って空を仰ぐと、消え残った雲のような白い雪が藁《わら》屋根の上に高くふわりと浮かんでいた。遠い上野の森は酔ったように薄紅く霞んで、龍泉寺から金杉の村々には、小さな凧《たこ》が風のない空に二つ三つかかってい
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