なしに窮屈な一日を屋敷に暮らしたが、灯のつくのを待ちかねて、彼は吉原へ駕籠を飛ばした。きょうも流《なが》して午《ひる》過ぎに茶屋へかえって来た。この場合、ふた晩つづけて屋敷を明けては、用人の意見、叔父の叱言《こごと》、それが随分うるさいと思ったので、彼は日の暮れるまでにひとまず帰ろうとしたのであった。
 彼は少しく酔っていたので、茶屋から駕籠にゆられながら快《い》い心持ちにうとうと[#「うとうと」に傍点]と眠って行くと、夢かうつつか、温かい柔かい手が蛇のように彼の頸《くび》にからみ付いた。女のなめらかな髪の毛が彼の頬をなでた。白粉の匂いがむせるように鼻や口をついた。眼の大きい、眉の力《りき》んだ女の顔がありありと眼の前にうき出した。
 と思う途端に、駕籠の先棒《さきぼう》がだしぬけに頓狂な声で、「おい、この駕籠は滅法界《めっぽうかい》に重くなったぜ」と、呶鳴った。
 外記ははっ[#「はっ」に傍点]と正気にかえった。そうして、駕籠が重くなったということを何かの意味があるように深く考えた。
 今までは自分一人が乗っていた。そこへまぼろしのように女が現われて来た。駕籠が急に重くなった。眼に見
前へ 次へ
全99ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング