冷たい潮風が吹いて来ると、つづいて雨の来るのが習い。湿《ぬ》れぬうちに戻りましょうか。
呉羽 苫屋《とまや》に雨の漏らぬように、軒のやぶれもつくろうて置かねばなりますまい。
綾の局 召仕いもなき佗び住居は、なにやらかやら心せわしいことでござるのう。
(二人は籠をたずさえてとぼとぼとあゆみ去る。浜のわらべ甲乙丙の三人いず。乙は赤き蟹を糸に縛りて持ったり。)
童乙 どうじゃ。平家蟹《へいけがに》はまだいるかの。
童甲 あいにくに夕潮が一杯じゃ。これでは蟹も上がりそうもないぞ。
童丙 では、あすの朝、潮の干《ひ》た頃に捕りに来ようかのう。
(弥平兵衛宗清、四十余歳、今は仏門に入りて雨月という。旅姿、笠と杖とを持ちていず。)
雨月 これ、これ、平家蟹とは……。どのような蟹じゃな。
童乙 これじゃ。見さっしゃれ。
(蟹を見せる。雨月はじっと視る。)
雨月 この蟹をなぜ平家と云うのか。
童甲 この壇の浦で平家が亡びてから、ついぞ見たことのない、こんな蟹が沢山に寄って来ましたのじゃ。
童乙 蟹の甲には人の顔がみえています。
童丙 これ、このように、おこった顔をしています。
(指さし示せば、雨月はつく
前へ 次へ
全31ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング