づたひにて十太夫足早に出づ。)
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十太夫 おゝ、もうお帰りぢや。(下の方へ行かんとしてお菊をみる。)お菊、まだそこに居つたのか。や、お皿をどうぞ致したか。これ、お菊。(あわてて縁に上る。)や、大切のお皿を真二つに……。こ、こりや何《ど》ういたしたのぢや。仔細をいへ、仔細を申せ。
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(十太夫はおどろき怒つて詰めよる。お菊は黙つて手をついてゐる。)
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十太夫 えゝ、黙つてゐては判らぬ。こ、こりや一体どうしたのぢや。さつきもあれほど申聞かせて置いたに……。かやうな粗相を仕出来《しでか》しては、そちばかりではない、この十太夫もどのやうな御咎《おとが》めを受けうも知れぬ。こりや飛んでもないことに相成つたぞ。
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(十太夫も途方に暮れてゐるところへ、奥の襖をあけて青山播磨つか/\出づ。)
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十太夫 お帰り遊ばしませ。御出迎へと存じましたる処、おもひも寄らぬ椿事《ちんじ》が出来《しゆつたい》いたしまして、失礼御免くださりませ。
播磨 思ひもよらぬ椿事……。(打笑む。)十太夫が又なにか狼狽《うろた》へて居るな。あわて者め。はゝゝゝゝゝ。
十太夫 いや、あわてずには居られませぬ。殿様、これ御覧くださりませ。(皿を指さす。)
播磨 (割れたる皿を見ておどろく。)や、高麗の皿を真二つに……。誰が割つた。(怒る。)
お菊 わたくしが割りました。
播磨 菊、そちが割つたか。(かんがへて。)定めて粗相であらうな。
お菊 はい、恐れ入りましてござりまする。大切なお皿を損じましたは、わたくしが重々の不調法、どのやうな御仕置を受けませうとも決してお恨みとは存じませぬ。
播磨 おゝ、先づ以て神妙の覚悟ぢや。青山の家に取つては先祖伝来大切の宝ではあるが、粗相とあれば深く咎めるわけにもまゐるまい。以後はきつと慎めよ。
お菊 はい。ありがたうござりまする。(安心して喜ぶ。)
播磨 幸ひ今夕《こんせき》の来客は水野殿を上客として、ほかに七人、主人をあはせて丁度九人ぢや。皿が一枚かけても事は済む。なう、十太夫。
十太夫 左様でござりまする。しかし御客人の御都合は兎《と》もあれ、折角十枚揃ひましたる大切の御道具を、一枚欠きましたる不調法は、手前も共におわび申上げまする。
播磨 (打笑む。)いや、いや、心配いたすな。たとひ先祖伝来とは申せ、鎧兜槍刀のたぐひとは違うて、所詮は皿小鉢ぢや。わしは左のみ惜いとも思はぬ。しかし昔形気の親類どもにきこえると面倒、表向きは矢はり十枚揃うてあることに致しておけ。
十太夫 はあ。
播磨 御客人もやがて見えるであらう。座敷の用意万端とゞこほりなく致して置け。そちは名代の粗忽者ぢや、手落のないやうに気をつけい。
十太夫 委細心得てをりまする。万事手ぬかりのない筈とは存じて居りまするが、ではもう一度念のために、御座敷を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてまゐりまする。御免くだされ。
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(十太夫はそゝくさと再び庭伝ひに上のかたへ去る。お菊は残る四枚の皿を箱に入れる。)
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お菊 とんだ粗相をいたしまして、なんとも申訳がござりませぬ。(手をつく。)
播磨 はて、くどう申すな。一度詫びたらそれでよい。まことを云へば家重代の高麗皿、家来があやまつて砕く時は手討にするが家の掟ぢやが、余人は知らず、そちを手討になると思ふか。はゝゝゝゝゝ。砕けた皿は人の目に立たぬやうに、その井戸のなかへ沈めてしまへ。
お菊 はい、はい。
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(お菊は嬉しげに起つて、先づ皿の箱を縁さきに持ち出し、更に欠けたる皿を取りて庭に降り、上の方の井戸になげ込む。)
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お菊 では、わたくしもお勝手へ退《さが》りまする。
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(皿の箱をかゝへる。)御免くださりませ。
(下の方へ行きかゝる。)
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播磨 待て、待て。左様に逃げてまゐるな。勝手の用はほかの女どもに任して置いて、まあこゝで少し話してゆけ。
お菊 はい。(嬉しげに縁に腰をかける。播磨も縁さきに進み出る。)
播磨 母から此頃にたよりはないか。
お菊 この一月ほどなんのたよりも聞きませぬが、大方無事であらうと存じてをりまする。
播磨 親ひとり子一人ぢや、いつそ此の屋敷内へ引取つてはどうぢやな。母は屋敷住居は嫌ひかな。
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