業らしいと云うことになりました。屯所の方でも、こんな事はなるべく秘密にして置きたかったのでしょうが、人の口に戸は立てられません。殊にこんな噂は猶さら広がり易いもので、忽ち世間の評判になってしまいました。ところが、おかしいことには、今度の髪切りは狐でもなく、猿でもなく、豹《ひょう》の仕業だという噂でした」
 髪切りを猿や狐の仕業というのは、昔の人としてさもありそうな事であるが、豹というのは余りに奇抜であった。
「豹の仕業……」とわたしは首をかしげた。「それはどういう訳ですか」
「はは、今の人にはお判りのないことで……」と、半七老人は笑った。「幕府の歩兵には、豹だの、茶袋だのという綽名《あだな》が付いていました。将棋の駒の歩《ふ》は歩兵《ふひょう》で、つまりは歩兵《ほへい》の意味です。そこで幕府の歩兵を将棋の歩になぞらえて歩《ひょう》といい、それが転じて豹になったのです。歩兵は紺木綿の服を着ていましたが、夏の暑いあいだは茶色の麻を着ていたので、茶袋という名を付けられたわけで……。豹にしても、茶袋にしても、あんまり有難い名前じゃありません。これを見ても、その不人気が思いやられます。その豹の髪
前へ 次へ
全46ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング