ぐらかって来ましたね」
「そこで、おめえの受持ちはどうした」
「ひと通りは洗って来ました」
 亀吉が探索の結果も、弥助の報告とほぼ同様であった。第二小隊の鮎川丈次郎は武州大宮在の農家の次男で、年は二十三歳で、歩兵仲間にはめずらしい色白の柔和《にゅうわ》な人間であるが、同じ隊中の者に誘われて此の頃は随分そこらを飲み歩くらしい。天神下の藤屋へもたびたび出かけて、お房になじんでいるのも事実である。深川海辺河岸の万華寺というのが遠縁の親類にあたるので、そこの住職が身許になって入隊したのであると云う。鮎川ばかりでなく、髪切りに出逢ったほかの十人も相変らず調練に出ている。そのほかには別に変ったことも無いらしいと、亀吉は云った。

     四

 明くれば三月二十六日である。ゆうべの雨かぜも暁《あ》け方からからりと晴れて、きょうは拭《ぬぐ》ったような青空を見せていた。
 このごろの騒がしい世の中では、葉ざくら見物という風流人も少ないと見えて、花の散ったあとの隅田堤はさびしかった。堤下《どてした》の田圃では昼でも蛙がそうぞうしくきこえた。その堤下の小料理屋から二人づれの男が出て来た。
 ひとりは筒袖
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