だからな」
 二人は笑いながら元の面会所へ帰った。ここで何かの打ち合わせをして、半七は屯所の門を出ると、ひとりの若い女の姿が眼の前に見えた。女は門番と何か立ち話をして立ち去るらしい。よく見ると、それは湯島天神下の藤屋という小料理屋の女中であった。
「おい、おい、お房。どこへ行くのだ」
「あら、親分さん」と、お房は会釈《えしゃく》した。「よいお天気で結構でございます」
「おめえは今そこの番人となんの内証ばなしをしていたのだ。お馴染《なじみ》かえ」
「ええ、少し用があって……。これで三度も足を運ぶんですけれど……」
「そんなに逢いてえ人があるのか」と、半七は笑った。「もっともひと口に茶袋とも云えねえ。あの中にもなかなか粋な兄《あに》いがまじっているからな」
「あら、御冗談を……。そんなのじゃあ無いんですよ。おかみさんにゃあ叱られるし、ほんとうに困ってしまうんですよ」と、お房は顔をしかめた。
「ははあ、勘定取りかえ。あんまりいい役じゃあねえな」
「いい役にも、悪い役にも、まったく困るんですよ」と、お房は繰り返して愚痴らしく云った。
 この正月のはじめに、馴染の歩兵が四人連れで藤屋へ飲みに来た
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