件……。そのあとをお話し申しましょうかね」
「どうぞお願いします」
 私はそれを待ち構えていたのである。老人は例の明快な江戸弁で、殊に今夜は流暢に語り出した。

 この一件は慶応元年の二月から三月にかけての出来事で、半七が小川町の歩兵屯所へ呼び出されたのは三月二十五日の朝であった。小隊長の根井善七郎は半七を面会所へ通した。
「世間の噂でおまえも大抵承知しているだろうが、どうも困ったことが出来た。一人や二人ならばともかくも、それからそれへと二十日ばかりの間に十一人も髷を切られた。こういう事は人騒がせで甚だ宜しくない。第一に世間の手前もある。猿だの、狐だの、豹だのと、いろいろの風説が伝えられているので、当方でも見付け次第に撃ち殺すつもりで、銃を持った者が毎晩交代で見廻っているが、獣《けもの》らしい物の姿も見あたらない。罠《わな》をかけたが、それにも罹《かか》らない。こうなると、どうも獣の仕業でないらしく思われるので、きょうはお前を呼び出したのだが、なんとか一つ働いてみてくれまいか」
 歩兵隊の者が片端《かたはし》から髷を切られたなどと云うことは、当人たちの不面目ばかりでなく、ひいては歩兵隊
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