人はこれから本所《ほんじょう》の知人を尋ねると云うので、一緒に付いてゆくことも出来ない。残念ながら髪切りの話はここでひと先ず中止のほかは無かった。わたしは元の富岡門前で老人に別れた。
しかし、半分聞きかけの話をそのままにして置くのは、わたしの性質として何分にも気が済まないので、その明くる晩、寒い風を衝《つ》いて赤坂へ出かけると、老人はすこし感冒の気味だと云うので、宵から早く床にはいっていた。その枕もとで手帳を取り出すわけにも行かないので、わたしは怱々《そうそう》に帰って来た。
それから二日ほど過ぎて、見舞いながら又たずねて行くと、老人はもう起きていたが、今度はあいにく来客である。わたしは又もやむなしく帰った。わたしも歳末は忙がしいので、冬至《とうじ》の朝、門口《かどぐち》から歳暮の品を差し置いて来ただけで、年内は遂にこの話のつづきを聞くべき機会に恵まれなかった。
あくる年の正月五日の午後、赤坂へ年始まわりに行くと、老いてますます健《すこや》かな老人は、元気よく新年の挨拶を述べた。それからいつもの雑談に移ると、早くも老人の方から口を切った。
「旧冬、冬木でお話をした歩兵の髪切りの一
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