に泊まっている佐倉の人達じゃあねえかね」
「そうでございますよ」
かれらは果たして金右衛門らの一行で、その遭難の通知におどろいて、これから様子を見とどけに行く途中であった。丁度いい人達に逢ったと喜んで、半七は三人を路ばたの大榎《おおえのき》の下へ呼び込んだ。
「わたしはお上の御用聞きで、この一件を調べに来たのだ。米屋の下総屋の亭主は金右衛門と従弟《いとこ》同士だというが、全くそうかね」
「いえ、亭主ではございません。女房が従妹同士なのでございます」と、三人のうちで年長《としかさ》の益蔵という男が答えた。
「米屋の茂兵衛はいつ頃から江戸へ出て来たのだね」
「十年ほど前に江戸へ出まして、最初は深川で米屋をして居りました。それから唯今の千駄ヶ谷へ引っ越したのでございます」
「茂兵衛の女房はおととしの暮れに死んだそうだが、名はなんと云うね」
「お稲と申しました」
「子供は無いのだね」
「無いように聞いております」
「金右衛門は八年ほど前に江戸へ出たことがあるそうだね」
「はい。茂兵衛がまだ深川にいる時でございまして」
「金右衛門は茂兵衛に金の貸しでもあるかえ」
「そんなことは一向に聞いて居りません」
半七は更に為吉兄妹について訊きただしたが、いずれも年の若い正直者であると云うだけで、別に注意をひくような聞き込みもなかった。金右衛門の娘おさんが来年は為吉の嫁になることを、益蔵も知っていた。
三
六道の辻で斬られた男の身もとは遂に判らなかった。誰もたずねて来る者もなかった。金右衛門を斬ったのは土地の悪御家人の仕業《しわざ》であるとしても、かの若党と浪人は土地の者で無い。土地の者ならば、誰かが彼等の顔を見て識っている筈である。そうなると、この二つの事件はまったく別種のものと認めるのが正しいように思われて、半七もその分別に迷った。
宗吾の芝居見物に出て来た佐倉の人びとは、為吉兄妹を金右衛門の看護に残して、いずれも本国の下総へ帰った。
それから二日目の朝である。青山へ見張りに出してある庄太が神田の家へ駈け込んで来た。
「親分。またひと騒ぎだ」
「なんだ。なにが出来《しゅったい》した」
「米屋に逗留している娘が見えなくなった」
「為吉の妹か」
「そうです。お種という女です。きのうの夕方、と云ってもまだ七ツ半(午後五時)頃、近所の銭湯《せんとう》へ行ったが、その帰
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