吉もかんがえました。
 第一、それが普通の病死で、どこかの寺へ送って行くならば、多吉の顔を見ておどろいて、早桶を大川へほうり込んで逃げ出すはずがありません。これには何かの秘密があるのは判り切っています。おそらく彼《か》の二人は多吉の顔を見識っていて、飛んだ奴に出逢ったと周章狼狽して、早桶を抛《ほう》り込んで逃げたのでしょう。平気で摺れ違ってしまえば、多吉の方では気が付かずに通り過ぎたかも知れなかったのですが、あんまり慌てたので却ってぼろ[#「ぼろ」に傍点]を出したのです。
 しかし多吉の方では、その二人の顔に見覚えが有るような、無いような、どうもはっきりした見当が付かないので困りました。どこの誰ということを思い出せば、すぐに探索に取りかかるのですが、それが思い出せないので手の着けようが無い。これにはわたくしも困りました。この死骸は型のごとく検視を受けて、近所の寺へ仮り埋めされたことは云うまでもありません。
 死人の額へ三角の紙をあてて、それに『シ』の字をかくのは珍らしくないが、額に『犬』という字をかくのは珍らしい。まあ、犬畜生のような奴だと云うのでは無いかと思われます。江戸時代のよし原
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