だあとで、半七はかの橙を手の上に転がしながら訊《き》いた。
「この龍という字は、なかなかしっかり書いてある。仁助とかいう奴が自分で書いたのじゃああるめえ。誰に頼んだのか、知らねえか」
「表の白雲堂ですよ」と、女房が口を出した。
表通りに幸斎という売卜者《はっけみ》が小さい店を開いていて、白雲堂の看板をかけている。夜蕎麦売りの仁助はその白雲堂にたのんで、橙に龍の字をかいて貰ったのであると、彼女は説明した。
「白雲堂……。そりゃあどんな奴だ」と、半七はまた訊いた。
今度は庄太が代って説明した。白雲堂の幸斎は五十二三の男で、ここに十年あまりも住んでいる。自分はよくも知らないが、うらないは下手《へた》でもないという噂である。幸斎は独り者で、女房子《にょうぼこ》は勿論、親類なども無いらしい。酒を少し飲むが、別に悪い評判もない。近所の者にたのまれて、手紙の代筆などをするが、これも売卜者のような職業としては珍らしいことでもない。要するに白雲堂は世間にありふれた売卜者という以外に、変ったことも無いらしかった。
「そこで、その龍の字に何か引っかかりがあるのですかえ」と、庄太は訊いた。
「むむ。すこし
前へ
次へ
全48ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング