半七捕物帳
河豚太鼓
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)種痘《しゅとう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三河|町《ちょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日+向」、第3水準1−85−25]
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一
種痘の話が出たときに、半七老人はこんなことをいった。
「今じゃあ種痘《しゅとう》と云いますが、江戸時代から明治の初年まではみんな植疱瘡《うえぼうそう》と云っていました。その癖が付いていて、わたくしのような昔者《むかしもの》は今でも植疱瘡と云っていますよ。こんな事はあなた方がよく御存じでしょうから、詳しくは申し上げませんが、日本の植疱瘡はなんでも文政頃から始まったとか云うことで、弘化四年に佐賀の鍋島侯がその御子息に植疱瘡をしたというのが大評判でした。それからだんだんに広まって、たしか嘉永三年頃だと覚えていますが、絵草紙屋の店に植疱瘡の錦絵が出ました。それは小児《こども》が牛の背中に跨《またが》って、
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