、庄太。あれを拾って来てくれ」
「なんです」
「あの橙《だいだい》よ」
根太板を剥がれた床下《ゆかした》は、芥溜《ごみた》めのように取り散らしてあった。そのなかに一つの大きい橙の実が転げているのを拾わせて、半七は手に取って眺めた。橙には龍という字があらわれていた。近い頃に書いたと見えて、墨の色もまだはっきりと読まれた。
それが火伏せの呪禁《まじない》であることを半七は知っていた。橙に龍という字をかいて、大晦日《おおみそか》の晩に縁の下へ投げ込んで置くと、その翌年は自火は勿論、類焼の難にも逢わないと伝えられて、今でもその呪禁をする者がある。おそらく龍が水を吐くとか、雨を呼ぶとかという意味であろう。この橙のまだ新らしいのを見ると、去年の大晦日に投げ込んだものらしい。その「龍」という字に見覚えがあると、半七は思った。
「ここの家《うち》は誰だ」
「夜蕎麦売りの仁助で、その隣りが明樽《あきだる》買いの久八です」と、庄太は答えた。
「隣りにも橙があるか無いか、探してくれ」
庄太は芥をかき分けて詮索したが、隣りの床下には獲物がなかった。内へはいると、庄太の女房も出て来た。ひと通りの挨拶の済ん
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