るだろう」
巻煙草の吸い殻を手のひらに乗せて、半七は又しばらく考えていた。
三
半七と松吉は鈴ヶ森を一旦引き揚げて、浜川の丸子へ戻って来ると、店では待ち受けていてすぐに二階座敷へ通された。前から頼んであったので、酒肴の膳も運び出された。
「なあ、松。ここの家《うち》できいても判るめえが、小伊勢の巳之という伜が睨みの松の下でお糸という女に逢った時に、その女はどんな装《なり》をしていたのかな。まさか芝居でするお女郎の道行《みちゆき》のように、部屋着をきて、重ね草履をはいて、手拭を吹き流しに被《かぶ》っていたわけでもあるめえが……」
「さあ」と、松吉は猪口《ちょこ》を下におきながら云った。「そりゃあ本人の巳之助に訊いてみなけりゃあ判りますめえ。だが、親分。どうしても人違いでしょうか」
「論より証拠、そのお糸という女は無事に若狭屋に勤めていると云うじゃあねえか」
「そりゃあそうですが……」
云う時に、女中が二階へあがって来たので、半七は酌をさせながら訊《き》いた。
「品川にかかっている黒船から、マドロスがここらへあがって来ることがあるかえ」
「ええ、時々に二、三人連れでここらを見物して歩いていることがあります」
「ここらの家《うち》へ飲みに来るかえ」
「ここへは来ませんが、鮫洲の坂井屋へはちょいちょい遊びに来るそうです。川崎屋なんぞでは異人は断わっていますが、坂井屋では構わずに上げて飲ませるんです。異人はみんなお金を持っているそうで、どこで両替えして来るのか知りませんが、二歩金や一歩銀をざくざく掴み出してくれるという話で、馬鹿に景気がいいんです」と、女中は嫉《ねた》むような嘲るような口吻《くちぶり》で話した。
「なんでも慾の世の中だ。異人でもマドロスでも構わねえ、銭のある奴は相手にして、ふところを肥やすのが当世かも知れねえ」と、松吉は笑った。
「まあ、そうかも知れませんね」と、女中も笑っていた。
「その坂井屋さんにお糸という女はいねえかえ」と、半七は突然に訊いた。
「お糸さん……。居りましたよ」
「もういねえかえ」
「ええ、先月の末から見えなくなって……。どっかへ駈け落ちでもしたような噂ですが……」
半七と松吉は顔をみあわせた。
「坂井屋じゃあ異人を泊めるのかえ」と、半七はまた訊いた。
「泊めやあしません。坂井屋は宿屋じゃありませんから……。それに異人
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