吉は訊《き》いた。
「狐に化かされた野郎の詮議はまあ後廻しだ。真っ直ぐに浜川まで行こう」
品川を通り過ぎて浜川へかかると、丸子という小料理屋がある。ここは先夜、小伊勢の巳之助が転げ込んだ家である。半七はここへ寄って、当夜の模様などを詳しく訊いた。これから鈴ヶ森をひと廻りして来ると云い置いて、二人は又そこを出ると、五月なかばの真昼の日は暑かった。
「東海道は砂が立たなくっていいが、風が吹かねえと随分暑いな」と、半七は眩《まぶ》しそうに空をみあげた。
海辺《うみべ》づたいに鈴ヶ森の縄手へ行き着いて、二人はかの睨みの松あたりに、ひと先ず立ちどまった。きょうは海の上もおだやかに光って、水鳥の白い群れが低く飛んでいた。
「ここらだな」
半七はひたいの汗をふきながら其処らを見まわした。松吉も見まわした。二人は又しゃがんで煙草をすいはじめた。やがて半七が煙管《きせる》をぽんと掃《はた》くと、吸い殻の火玉は転げて松のうしろに落ちたので、その火玉を追って二度目の煙草をすい付けようとする時、草のあいだに何物をか見付けた。すぐに拾いあげて透かして視て、半七は忽ち笑い出した。
「今まで誰か気が付きそうなものだが、ここらの人間もうっかりしているぜ。それだから狐に化かされるのだ。おい、松。これを見ろよ」
「なんですね、煙草のような物だが……」と、松吉は覗き込んだ。
「ような[#「ような」に傍点]物じゃあねえ。煙草だよ。これは異人のすう巻煙草というものの吸い殻だ。おれも天狗の話を聴いた時に、ふっと胸に浮かんだのだが……。おい、松。もう一度あすこを見ろよ」
きせるの先で指さす品川の沖には、先月からイギリスとアメリカの黒船《くろふね》が一艘ずつ碇泊しているのが、大きい鯨のように見えた。巻煙草のぬしがその船の乗組員であることを、松吉はすぐに覚った。
「成程、こりゃあ親分の云う通りだ。そうすると、異人の奴らがあがって来て、悪戯《いたずら》をするのかね」
「そうかも知れねえ」
「だれが云い出したのか知らねえが、品川の黒船から狐を放したのだという噂も、こうなると嘘でもねえ」と、松吉は海をながめながら云った。「異人め、悪いたずらをしやがる。だが、まったく異人の仕業だと、むやみに手を着けるわけにも行かねえので、ちっと面倒ですね」
「いくら異人でも、そんな悪戯を根よくやっている筈がねえ。これには何か訳があ
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