半七捕物帳
妖狐伝
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)空《そら》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)首|縊《くく》り

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)はっ[#「はっ」に傍点]
−−

     一

 大森の鶏の話が終っても、半七老人の話はやまない。今夜は特に調子が付いたとみえて、つづいて又話し出した。
「唯今お話をした大森の鶏、鈴ヶ森の人殺し……。それと同じ舞台で、また違った事件があるんですよ。まあ、ついでにお聴きください。御承知の通り、江戸時代の鈴ヶ森は仕置場で、磔刑《はりつけ》や獄門の名所です。それですから江戸の悪党なんかは『おれの死ぬときは畳の上じゃあ死なねえ。三尺高い木の空《そら》で、安房上総《あわかずさ》をひと目に見晴らしながら死ぬんだ』なんて大きなことを云ったもんです。鈴ヶ森で仕置になった人間もたくさんありますが、その中でも有名なのは、丸橋忠弥、八百屋お七、平井権八なぞでしょう。みんな芝居でおなじみの顔触れです。
 その当時の東海道は品川から浜川、鮫洲《さめず》で、鮫洲から八幡さまのあたりまでは、農家や漁師町が続いていますが、それから大森までは人家が途切れて、一方は海、いわゆる安房上総をひと目に見晴らすことになる訳で、仕置場までの間を鈴ヶ森の縄手と呼んでいました。その縄手を越えて、仕置場の前を通りぬけて、大森の入口へ差しかかるのですから、昼は格別、夜はどうも心持のよくない所です。芝居で見ると、幡随院長兵衛と権八の出合いになって『江戸で噂の花川戸』なんて云うから、観客《けんぶつ》も嬉しがって喝采するんですが、ほんとうの鈴ヶ森は決して嬉しい所じゃありませんでした。
 なにしろ場所が場所ですから、日が暮れると縄手に追剥ぎが出るとか、仕置場の前を通ったら獄門の首が笑ったとか、とかくによくない噂が立つ。しかしこれが東海道の本道なんですから、忌《いや》でも応でもここを通らなければならない。この頃は汽車で通ってしまうので、今はどうなっているか知りませんが、その縄手の中ほどに一本の古い松がありまして、誰が云い出したものか、これを八百屋お七の睨《にら》みの松と云い伝えていました。お七が鈴ヶ森で火あぶりの仕置を受けるときに、引き廻しの馬に乗せられてここを通りかかって、その松を睨んだとか
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