方がねえ。江戸へ帰るまで我慢するのだ」
 ここで草鞋を穿《は》きかえて、六郷の川端まで来かかると、十人ほどが渡しを待っていた。いずれも旅の人か江戸へ帰る人たちで、土地の者は少ない。そのなかで半七の眼についたのは三十二三の中年増《ちゅうどしま》で、藍鼠《あいねずみ》の頭巾《ずきん》に顔をつつんでいるが、浅黒い顔に薄化粧をして、ひと口にいえば婀娜《あだ》っぽい女であった。女は沙原《すなはら》にしゃがんで、細いきせるで煙草を吸っていた。庄太はその傍へ寄って煙草の火を借りた。
「天気はいいが、お寒うござんすね」と、庄太は云った。
「雪のあとのせいか、風がなかなか冷えます」と、女は云った。
 そのうちに船が出たので、人々は思い思いに乗り込んだ。女は船のまん中に乗った。半七と庄太は舳先《へさき》に乗った。やがて向うの堤《どて》に着いて、江戸の方角へむかって歩きながら、半七は小声で云った。
「おい、庄太。あの女はなんだか見たような顔だな」
「わっしもそう思っているのだが、どうも思い出せねえ。堅気《かたぎ》じゃありませんね」
「今はどうだか知れねえが、前から堅気で通して来た女じゃあねえらしい」
「小股
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