をするようですが、まあ、お聴き下さい」
嘉永四年は春寒く、正月十四日から十七日まで四日つづきの大雪が降ったので、江戸じゅうは雪どけの泥濘《ぬかるみ》になってしまった。こんにちと違って、これほどの雪が降れば、その後の半月ぐらいは往来に悩むものと覚悟しなければならない。半七は足ごしらえをして、子分の庄太と一緒に、二十一日の初大師に参詣した。
明け六ツ頃に神田の家《うち》を出て、品川から先は殊にひどい雪どけ道をたどって行って、大師堂の参拝を型のごとくに済ませたのは、その日も午を過ぎた頃であった。
「さあ、午飯《ひるめし》だ。どこにしよう」
繁昌と云っても今日《こんにち》のようではないので、門前の休み茶屋の数《かず》も知れている。毎月の縁日とは違って、きょうは初大師というので、どこの店もいっぱいの客である。いっそ川崎の宿《しゅく》まで引っ返して、万年屋で飯を食おうと云って、二人は空腹《すきばら》をかかえて、寒い風に吹きさらされながら戻って来ると、ここらもやはり混雑していて、万年屋も新田屋も客留めの姿である。二人は隅のほうに小さくなって、怱々《そうそう》に飯をくってしまった。
「まあ、仕
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