の間で多左衛門と何かの密談に時を移して帰った。その以後も殆ど毎日のように尋ねて来る。なんの為にそんなに足近く出入りをするのか、主人は口をつぐんで何事をも語らないのであるが、それが普通の用件や雑談でないことは、多左衛門の暗い顔色を見ても大抵想像されるので、女房や番頭らも心配した。女房のお才は大番頭の与兵衛と相談して、ある夜かの万次郎が帰るあとを尾《つ》けさせた。与兵衛は途中の小料理屋へ万次郎を誘い込んで、この頃の密談の内容を訊きただすと、万次郎は眉をひそめてささやいた。
「おまえの店の主人は飛んでもねえことをしてしまった。わたしも絵馬をあつめるのが道楽で、ずいぶん無駄な銭《ぜに》を使ったり、無駄な暇《ひま》を潰したりしているが、お前の主人は道楽が強過ぎるぜ。いかに熱心だからといって、和田の八幡から正雪の絵馬を持ち出すとは呆れたものだ。わざわざ偽物《にせもの》をこしらえて、本物と掏り換えて来るなんぞは、あんまり罪が深過ぎるじゃあねえか。いや、それも普通の絵馬ならば、なんとか内済にする法があるかも知れねえが、正雪の絵馬じゃあ何分にも事が面倒になる。由井正雪が天下の謀叛人だということは、三つ児
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