かくも江戸時代には正雪の絵馬として名高いものでした。わたくしが見たのは江戸の末で、慶安当時から二百年も経っていましたから、自然に板の木目《もくめ》が高く出て、すこぶる古雅に見えました。さてその絵馬について、こんなお話があるんですよ。
こんにちでも諸方の神社に絵馬が懸けてありますが、むかしは絵馬というものがたいへんに流行したもので、江戸じゅうに絵馬専門の絵馬屋という商売が幾軒もありまして、浅草|茅町《かやちょう》の日高屋なぞは最も旧家として知られていました。これからお話をいたすのは、四谷|塩町《しおちょう》の大津屋という絵馬屋の一件で、これも相当に古い店だということでした」
安政元年の春はとかくに不順の陽気で、正月が例外に暖かであったと思うと、三月には雷鳴がしばしば続いた。取り分けて三月二十六日の夜は大雷、その翌日の昼もまた大雷雨で、江戸市中の所々に落雷した。
「これじゃあ何処へも出られねえ」
きょう一日を降り籠められて、半七も唯ぼんやりと夕飯を食ってしまうと、暮れ六ツ半(午後七時)頃には雷雨も晴れて、月のない空に無数の星の光りがきらめき出した。これから何処へ出るというあてもない
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