しらえたという家《うち》は何処だ」と、半七は訊いた。
「塩町の大津屋だそうです」
「一体その絵馬を掏り換えて来たのは誰だ。丸多の主人が自分でやったのか」
「それがよく判らねえのですが……。おそらく自分が手を下《くだ》したのじゃあありますめえ。ほかに頼まれた奴があるのだろうと思われますがね」
「むむ。いくら道楽が強くっても、大家《たいけ》の主人が自分で手を出しゃあしめえ。絵馬屋の奴らが頼まれたのか、それともほかに手伝いがあるのか、それもよく詮議しなけりゃあならねえ。神社の絵馬をどうしたの、こうしたのというのは、寺社の支配内のことで、おれたちの係り合いじゃあねえ。殊に堀ノ内の先だと云うのだから、江戸の町方《まちかた》の出る幕じゃあねえ。おれ達は頼まれただけの仕事をして、丸多の主人の居所《いどこ》さえ突き当てりゃあいいようなものだが、唯それだけじゃあ納まるめえ。仏《ほとけ》作って魂《たましい》入れずになるのも残念だから、引き受けた以上はひと通りの事をしてやりてえと思うのだが……。なにしろその現場を見なけりゃあどうにもならねえ。この分じゃあ明日《あした》は天気だろう。ともかくも一緒に和田へ踏み出してみようじゃあねえか。朝の五ツ半(午前九時)までに大木戸へ行って待ち合わせていてくれ」
「承知しました」
 亀吉は表へ出て、空を仰ぎながら云った。
「親分。あしたは確かに上天気……。星が降るように出ましたよ」

     三

 亀吉の予報は狂わないで、明くる二十八日の朝の空はぬぐうように晴れていた。三月末の俄か天気で、やがて衣更《ころもが》えという綿入れが重いようにも感じられたが、昔の人は行儀がいい、きょうから袷《あわせ》を着るわけにも行くまいというので、半七は暖か過ぎるのを我慢して出ると、神田から山の手へのぼる途中でもう汗ばんで来た。羽織をぬいで肩にかけて大木戸まで行き着くと、亀吉は約束通り待っていた。
「すこし天気が好過ぎるな。だが、まあ、降られるより優《ま》しだろう」
「そうですよ。きのうのようじゃあどうすることも出来ません」と、亀吉も羽織を袖畳《そでだた》みにしながら云った。
 内藤新宿の追分《おいわけ》から角筈《つのはず》、淀橋を経て、堀ノ内の妙法寺を横に見ながら、二人は和田へ差しかかると、路ばたの遅い桜もきのうの雷雨に残りなく散っていた。
 もう青葉だなどと話しながら
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